聖人の高田専修寺造営にあたって、真岡城主大内国時は、高田から東2kmの閑静な山里に草庵を建て、 聖人御逗留の便をはかりましたので、約一年の間ここにお住みになりました。これが三谷村の御草庵であります。
 さて、基礎工事も進捗した四月十四日の夜のこと、聖人は霊夢を感得されました。 「師の願い既に満足せり。速やかに信濃の国善光寺に来るべし。 我が身を分けて師に与うべし。」
 との、如来のお告げをお聞きになったのです。踊躍歓喜された聖人は、翌朝、性信、順信の二人を伴として信濃へ 旅立たれ、十九日早朝、善光寺にお着きになりました。
 その頃、善光寺では、十五人の寺僧が本堂に集まって、昨夜見た夢について話し合っていました。ご本尊の善光寺如来が、「明日我が弟子善信法師来るべし。我が身を分けて与える所なり。汝等、この三尊をかの善信にわたすべし。」
 と言われたのを、十五人の誰もが聞いて、不思議がっていたのです。ちょうどその時、聖人らがお着きになったので、 寺僧たちは驚嘆して一光三尊佛を献上しました。聖人は歓喜の涙にむせびつつ、袈裟に包み、笈に納めて自らこれを背負い、 二十六日に高田に帰られました。
 聖人御感得の霊佛を得て、如来堂の造営はいよいよはかどり、翌嘉禄二年(一二二六)四月、ついに完工、真佛上人は京都に上がって 後堀河天皇より勅願寺の綸旨を受け「専修阿弥陀寺」の勅号を賜ったのでした。
 こうして高田山専修寺が創建されたのです。世にこれを「高田建立」と称します。